現代のお寿司の誕生と発展についてお話していきます。

先ほど、お寿司のルーツは中国で生まれたなれずしという製法が伝わったものとお話しました。ではなれずしからどのようにして現在私たちが日常的に食べているお寿司の形に発展していったのかをみていきたいとおもいます。握り寿司にしても、ちらし寿司にしても、お寿司には白米がかかせませんよね。探せばあるのかもしれませんが、玄米のお寿司を私は知りません。かつては上流階級の人しか食べることのできなかった白米が庶民でも食べることが出来るようになったのは稲作が普及し、庶民が平和で豊かになった江戸時代です。徳川幕府が統治し265年にも及ぶそれまでの戦乱の世とは比べものにならないほど豊かで平和な天下泰平の世界で様々な文化の発展とともに多くの食文化も発展させていきました。

そんななかで保存食として作られる「なれ寿司」は作ってから長期間保存しないと食べることが出来ないため、手軽に早く食べたいという思いからつけ込む際に酢を使うことでつけ込み期間を短縮出来る「早寿司」という製法が生み出されました。その後もっと早く食べるために、前もってご飯に塩やお酢で作った調味液を混ぜ、塩漬け、酢漬けにしたものをのせて箱に詰め一晩押した「一夜寿司」なるものが出来たのです。今の上方寿司に代表される押し寿司の元祖ですね。現在でもこの「一夜寿司」は各地の郷土料理として食べられています。つまり元々はすぐに傷んでしまう魚の保存方法として編み出された「なれずし」が江戸時代という平和で豊かな時代にはさほど保存にこだわらず、美味しく早く食べたいという気持ちと白米が普及した中で生まれた食文化ともいえるわけです。この押し寿司は、小さく押して柿の葉で包む柿の葉寿司や、鯖の姿寿司などに代表される上方寿司に発展していきます。江戸時代も中期になると、ご飯と魚だけではなく、酢飯に野菜を混ぜた「混ぜ寿司」や魚を使わない「いなり寿司」や「巻き寿司」などの上方寿司のレパートリーも増えていきました。